舜叟寺では、年間を通して様々な行事が行われています。
どなたでもご参加いただけますので、どうぞお気軽にお参り下さい。
お寺の行事を通して皆様とのご縁を深めていけたらと思います。
3月・9月 彼岸会(ひがんえ)
春彼岸にお供えするのは「ぼたもち」。秋は「おはぎ」。どちらも同じものですが、それぞれ季節の花「牡丹」と「萩」にちなむものです。時節によってその呼び方が変わるのは、四季のうつりかわりに敏感な日本人の豊かな心の表れなのかもしれません。
四月八日
花まつり
四月八日のお釈迦さま(仏教の開祖)の誕生日に行われる仏教行事を花まつりといいます。
お釈迦さまのお誕生日を祝って全国の寺院で花まつりが催されるのです。
四月二十八日
大般若法要
『大般若経』六百巻を転読(てんどく)することによって、『般若経』の空(くう)の教えを体得し、すべての苦厄(くやく)を消しさって、内外の怨敵(おんてき)を退散(たいさん)させ、五穀豊穣や国家安寧(こっかあんねい)を祈念し人びとを幸福な生活にみちびいてゆくことを目的とした大法要です。
お盆
精霊馬
今から50年くらい前までは、お盆の期間は7月13日〜15日でした。
しかし、明治以降の新暦が一般化してきたため、暦がずれて8月13日〜15日が この期間に該当する事になりました。
日本では、地域によって7月13日〜15日をお盆とするところと、 8月13日〜15日とするところがあり、8月のお盆を 「旧盆」や「月遅れの盆」といいます。
13日の夕方に浄土(天国)からお越しになり、15日の夕方に戻られますので、 地上の私たちは、その間のお世話をする事になります。(16日早朝に戻られる地域もあります)
お盆
棚経
棚経とは、もともとお盆になると棚を作って位牌を置き、 その前に飾りや御供えをしてお経を読んだことに由来します。
本来は、13日の夕方から15日の夕方までの間にお檀家様すべてを訪問しお経を上げるものですが、 舜叟寺では現状では実質2日間で、お檀家様すべてを回ることが不可能です。
よって、新盆のお檀家様の訪問を14日にお盆の棚経としてお檀家さんのお宅に伺います。
舜叟寺の現状を何卒ご推察いただき、お檀家の皆様には何卒ご理解、ご協力いただきますようお願い申し上げます。
八月十六日
松江佛教会主催
灯篭流し
「灯篭流し」とは…
灯篭を海や川に流して、ご希望の先祖さまの霊を送る行事で、精霊流しとも呼ばれるお盆の送り火の一種です。松江の大橋川では昭和30年頃から毎年8月16日に行われ、大橋の南詰では、祭壇が設け供養法要が行われます。
当寺でも、、ご希望のお檀家様に一丁500円で販売しております。是非お買い求めいただき、ご精霊様のご戒名をお書きいただければ当日舟から流させていただきます。
八月二十日
施餓鬼法要
「餓鬼」とは生前食べ物を粗末にしてしまったり、俗世で供養してくれる人がおらずに無縁仏となってしまった魂が地獄に落ちた際になってしまうとされる鬼のことを指します。 その名の通り、常に飢えによってもがき苦しんでいるこの餓鬼に対して、飲食物を供物として捧げて供養の法要を行うことが『施餓鬼』です。
宗旨は曹洞宗
「坐禅の教えを拠りどころとし、坐禅の精神による生活のすべてにおいてお互い安らかで穏やかな日々を送ることに、人間としてこの世に生まれてきた価値を見出す。」
山号は長澤山、寺号は舜叟寺。
御本尊は十一面観世音菩薩(松江藩主・堀尾忠晴公ご母堂清太院の守佛)
当寺は、江戸時代『雲陽誌』によると元禄1(1688)年、禅宗尼寺美休山舜叟寺として開山、又『天文方御用手鑑』によれば、松江龍覚寺末寺長澤山舜叟寺と記載されています。
当時、中世豪族の流れをくむ、意宇川上流熊野村長澤家4代目当主の次男として生を受けた長澤亦助貞忠は、意宇平野山代村字内堀(現・松江市山代町)へと移住し、地域貢献に尽力し、のち財をなし豪農へと成長します。当時の面影を留めるのは茶臼山(旧名・神名樋野)を背に南面する広大な宅地跡と、城かと見紛うばかりの石垣並びに入口階です。後に亦助貞忠は、自身の長男興三郎貞兼に家督を譲ります。
山代長澤家二代興三郎貞兼は、美休山舜叟寺を松江龍覚寺9世・舜叟寺2世禹門喝龍大和尚とともに、龍覚寺末寺として伽藍再興の一歩を図ります。そして寛延2(1749)年、菩提寺として山号を長澤山に改め、山代長澤家初代亦助貞忠を開基、天秀素竺大和尚を開山として今日まで良き法縁をいただき三百数十年の法灯を受け継いでいます。
山門を登り境内に入ると、正面に本堂があります。これは、昭和57(1982)年、当寺16世代に新築落慶したものであり、本堂中央部高座には、明治初期の大火に見舞われた際、舜叟寺11世魯堂大禺大和尚により持ち出され焼失を免れたとされる十六羅漢像が鎮座しておられます。又、境内左側には、鎮守天照大神の社があり、御神体は「日」を象徴とする「鏡」と伝えられています。これは、当時の神と仏を同一視し、融和的に捉え信仰した神仏習合思想によるものと思われ、舜叟寺の縁起の一つです。
樹齢200年ともいわれる菩提樹(お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開かれた)の先に地蔵堂があり、松江六地蔵尊の親地蔵1番札所として、札地蔵尊木体座像が安置されています。さらに、この地蔵尊にかしづくかのように6体の地蔵尊が刻まれています。親地蔵尊は松江城下松江市竪町庄屋清兵衛が建立したとされ、山代本郷字薹の安息所に安置されており、同じく6体の地蔵尊は山代四辻にあったものを移設されたと云われています。当時の民衆の中で拡がった地蔵信仰の深さがうかがえます。又、「凡ての願が叶う」とされる北向きの地蔵尊としても親しまれ、地域はもとより遠方からも参拝の方が訪れます。
豊かな自然の中で育まれた人々の優しさと、遠い祖先から受け継がれた信仰の深さを感ずることができると思います
「舜叟寺の親地蔵様は、江戸時代初期に建立されたそうです。北向きのお地蔵様で縁起がいいと、地元の人に親しまれてきました。
札打ちの順番は、舜叟寺→竜覚寺→大念寺→法眼寺→浜佐蛇地蔵堂となります。