曹洞宗
島根県第二宗務所第十教区護持会
コロナウイルス禍により本年度の護持会行事
第十教区護持会総会・研修会
特派布教会
視察研修旅行
は残念ながら全て中止となりました。
曹洞宗
島根県第二宗務所第十教区護持会
コロナウイルス禍により本年度の護持会行事
第十教区護持会総会・研修会
特派布教会
視察研修旅行
は残念ながら全て中止となりました。
宗旨は曹洞宗
「坐禅の教えを拠りどころとし、坐禅の精神による生活のすべてにおいてお互い安らかで穏やかな日々を送ることに、人間としてこの世に生まれてきた価値を見出す。」
山号は長澤山、寺号は舜叟寺。
御本尊は十一面観世音菩薩(松江藩主・堀尾忠晴公ご母堂清太院の守佛)
当寺は、江戸時代『雲陽誌』によると元禄1(1688)年、禅宗尼寺美休山舜叟寺として開山、又『天文方御用手鑑』によれば、松江龍覚寺末寺長澤山舜叟寺と記載されています。
当時、中世豪族の流れをくむ、意宇川上流熊野村長澤家4代目当主の次男として生を受けた長澤亦助貞忠は、意宇平野山代村字内堀(現・松江市山代町)へと移住し、地域貢献に尽力し、のち財をなし豪農へと成長します。当時の面影を留めるのは茶臼山(旧名・神名樋野)を背に南面する広大な宅地跡と、城かと見紛うばかりの石垣並びに入口階です。後に亦助貞忠は、自身の長男興三郎貞兼に家督を譲ります。
山代長澤家二代興三郎貞兼は、美休山舜叟寺を松江龍覚寺9世・舜叟寺2世禹門喝龍大和尚とともに、龍覚寺末寺として伽藍再興の一歩を図ります。そして寛延2(1749)年、菩提寺として山号を長澤山に改め、山代長澤家初代亦助貞忠を開基、天秀素竺大和尚を開山として今日まで良き法縁をいただき三百数十年の法灯を受け継いでいます。
山門を登り境内に入ると、正面に本堂があります。これは、昭和57(1982)年、当寺16世代に新築落慶したものであり、本堂中央部高座には、明治初期の大火に見舞われた際、舜叟寺11世魯堂大禺大和尚により持ち出され焼失を免れたとされる十六羅漢像が鎮座しておられます。又、境内左側には、鎮守天照大神の社があり、御神体は「日」を象徴とする「鏡」と伝えられています。これは、当時の神と仏を同一視し、融和的に捉え信仰した神仏習合思想によるものと思われ、舜叟寺の縁起の一つです。
樹齢200年ともいわれる菩提樹(お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開かれた)の先に地蔵堂があり、松江六地蔵尊の親地蔵1番札所として、札地蔵尊木体座像が安置されています。さらに、この地蔵尊にかしづくかのように6体の地蔵尊が刻まれています。親地蔵尊は松江城下松江市竪町庄屋清兵衛が建立したとされ、山代本郷字薹の安息所に安置されており、同じく6体の地蔵尊は山代四辻にあったものを移設されたと云われています。当時の民衆の中で拡がった地蔵信仰の深さがうかがえます。又、「凡ての願が叶う」とされる北向きの地蔵尊としても親しまれ、地域はもとより遠方からも参拝の方が訪れます。
豊かな自然の中で育まれた人々の優しさと、遠い祖先から受け継がれた信仰の深さを感ずることができると思います
「舜叟寺の親地蔵様は、江戸時代初期に建立されたそうです。北向きのお地蔵様で縁起がいいと、地元の人に親しまれてきました。
札打ちの順番は、舜叟寺→竜覚寺→大念寺→法眼寺→浜佐蛇地蔵堂となります。